「筆者」多用の文章ってどうよ。心震える記事を見て、ライターの原点を思い出す

こぼれ落ちダイアリー

最近手にした本の中で、読み始めた途端、読む気が失せたモノがあった。

それは、読み始めから「筆者が」「筆者は」と、「筆者」が多用されている文章。


自己主張が強いように思えて「だから、何なのよっ」と反発に似た感情が。そして「筆者」の文字を見るたびに「いらっ」とする。すると内容がすっと入ってこなくなってしまった。


それ以来、やたら「筆者」というワードがひっかかり、鼻につく。


WEBに散らばっているモノには他にも、同様の反感をもつ文章がある。


それは「こんにちは。ライターの〇〇です」から始まる記事。

この1文、いる?オメーに興味ないんだよ。って思うわけで。


それから「突然ですが…」

記事はみんな突然なんだよっ(笑)

WEBって、文章の内容よりもアクセス数を稼いだもの勝ちで、とどのつまり、盗作さえしてなければ何でもOK。


そんな世界で、染まりたくないと思いながらも、甘んじてたジブンを、ガツンと思い知る文章にであってしまった。


それが

清原和博、独占告白2時間6分。笑みはなく、手は緊張で震えていた。

同じWEB上の文章なのに、まるで格がちがう。

もっと本を読もう。

そしてもっといい文章に、刺激を受けたい。

そんな気にさせてくれる記事。

ライターの原点。

だいぶ忘れていたかな…。

コメント